息子のつむじは左巻き。

ふと思ったことをただ残してるIT系企業で働くママのブログ。

祖母が幸せだったかは分からないけれど。


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秋になると、亡くなった祖母のことを毎年思い出します。

共働きだった私の家庭で、毎日の家事をしてくれていた祖母。

祖父も比較的長く働いていたので、家で仕事をしていないのは祖母だけでした。たまに内職をしたり、パートでお皿洗いをしていたりしていたけど…。

 

毎日家事をし、家族全員のご飯を作り、小さい頃は自転車に私を乗せて習い事の教室に連れて行ってくれて、わがまま放題だった私と兄弟の言うことを聞き。

そんな日々がもう十数年続いたんじゃないかと。

 

おばあちゃんっ子だった私は、何度もケンカしたし、作ってくれたご飯を「嫌いだからいらない」と言ったこともあった。

今思えば、召使いのように扱った時もあった。

 

大学生になって一人暮らしを始めてから、急に祖母は老けた。

耳はどんどん遠くなり、もう聞こえているふりしかしていなかった。

 

祖母は病院が嫌いで、補聴器も最後までつけなかったし、

容態が悪いと分かった時は、すでにもう先が長くない状態だった。

よくここまで痛みを我慢してきたね。と言われたらしくて。

 

ずっと、我慢我慢な人生だったんじゃないかと思った。

祖父とも愛し合っていたのか分からない。

 

耳が聞こえず、すでに余命1か月と宣告されやせ細る祖母。

全然コミュニケーションがとれない。

 


…まだ、お料理教えてもらってないよ。

わがまま言いながらも、祖母のハンバーグが好きだった。あれ、私、まだ作れない。

 


最後の会話は、「わたしね、結婚する予定なの」だった。

祖母は聞こえてなかったけど、聞こえたふりをして布団に入った。


…それからすぐに亡くなって、結婚も少し先に延期した。

 

 


老いや死は急に訪れて、もうすぐだからやりたいことやっておこう。なんてのは無理なんだと知った。

母は、あと健康にいられるのは10年くらいかなと言ってる。そこから先は、誰かに迷惑をかけながら生きることになるだろうと。

だから、幸せを今のうちに他人に分けておきたいね。とか、笑いながら言ってた。


祖母は、幸せだっただろうか。

そんなの私にはわからないけれど、私は幸せだったよ、とかそういう単純なことが言いたいわけじゃないけれど、

祖母が幸せだったのかどうか、ただただ、知りたい。祖母が亡くなってから、ずっと。


きっとその気持から開放されることはないと思う。



自分の子どもに、祖母の血が流れていることを、なんとなく、嬉しく思ったりしながら、今日も子どもを寝かしつけて、そんなことを考えてました。

人は、こんなにも、他人の幸せを望む生き物なんだな、と、自分の心の変化を感じて、改めて思いました。

そう思えるようになった祖母に、ほんとうに感謝。

 

 

あとね、一つおばあちゃん、おじいちゃんに伝えたいことが。



実家帰った時に、祖母が使っていた部屋で寝ていると、子どもが「あそこに怖いのいるね」って、言われた時はほんとに怖かったので、

わかんないように見守ってください。笑

 

 

 おやすみなさい。


photo by Alex

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